常秀山大学寺 略縁起
寺伝によれば、正和3年(1314年)12月、
中原亀ケ城主内室が城内に庵室を作り日蓮大聖人御弟子中老僧日秀聖人を招請したのが始まりで、
元享元年(1321年)常秀山大恵寺と寺山号を名乗り、
元徳元年(1329年)本山炒光寺(藻原寺)の各室道場となった。
その後天正の戦乱で灰燼となり、文禄4年(1595年)熱田丹後守孝義により
榎沢に寺山号を引移し第十祖日順上人を迎え七堂伽藍を整備した。
しかし明和5年(1767年)。明治元年(1868年)と二度にわたり焼失の憂き目に遭い、
唯一火災をまぬがれた仁王門は享保15年(1730年)建立、天井に能と天女の絵が画かれている。
庫理は明和7年(1770年)再建し五間十間あり、イチョウの大木の大黒柱はめずらしい。
鐘楼堂は宝永元年(1704年)の建築であったが、
第二次世界大戦で梵鐘を供出、建物はアイオン台風でこわれ平成8年(1996年)再建、
廻りの八頭の野子は当時のもの(1704年)勝浦在住の名工嶋村清兵衛國纉の作。
明治4年大恵寺の恵を栄に改めた(明治政府の厳達による)。
境内外約六千年の中には、本堂、七面堂、子安堂、仁王門、座和、多日的ホール等建並、
ベットの集や永代供養墓「大恵霊廟」などがあり、
四季を通じ開静なたたずまいは自然に心を洗われる霊地であります。